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 退屈で死にそう、とは良く言ったものです。本当に、「死ぬほどの退屈」なんていうものがあるものなのでしょうか? ましてや、「退屈で自殺」なんていうのもあまり聞きません。退屈で死にそうだ、というのはいかにも、オーバーすぎるということなのです。

 死にそうと言うのはもののたとえで、そのぐらい「退屈だ」ということを訴えたいと言うことなのでありましょう。魂の叫びでもあります。しかし、退屈というのは、何もしなくてもすむ状態でもあり、つまり、今これから何をするかも自由だということです。幸せなことですね。動物は、おそらく退屈などという感情はないでしょう。ネコはよくあくびをしますが、あれは退屈だからなのでしょうか?

 それでも、「退屈で死にそう」という状況が、1つあります。それは、授業や会議、または何かの待ち時間で拘束されていて、自由が利かない状態にある場合です。つまり、「授業が退屈」「会議が退屈」なのです。これは、退屈という言葉は本当は不適切。「授業がつまらない、怠惰だ」「くだらない会議だ」と、そう表現するべきです。

 本当にクリエイティブな人には、「退屈」と感じる
時間などないといいます。何もすることがない時間は、創作活動にいそしみ、創作活動には必ずしも道具や環境は要りません。つまらない授業なら、聞かずにあれこれ想像し、物語を組みたて、曲を作り、想像の世界をひろげるのです。そういう中にこそ、創作のひらめきがあるのであって、退屈などというグチを言う人は、与えられた時間を有意義に使う能力のない、しがない存在でしかないと言えます。

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