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浅草線・ 屈辱の第一歩 [屈辱の都営浅草線②]

 
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 そもそも東京の地下鉄第一号の銀座線は、当時の華やぐ東京のメインストリートとして君臨していた中央通りの真下を走っており、当時の中心の浅草、そして銀座をおさえ、上野や広小路(松坂屋前)、神田と下町はもちろん、天下の三越本店、日本橋高島屋や白木屋(現在の東急日本橋店)のまん前に駅を構え、さらには赤坂や青山という当時はそれほど栄えていなかった山の手もきちんとおさえ、一大ターミナルの渋谷を終点にして、当時の東京のこれぞという部分はほとんど押さえてしまっていました。そのあとの丸の内線が新宿と東京駅と池袋、さらに文京や国会議事堂、そして東京のビジネス街、大手町、丸の内、霞が関などを余すところなく押さえて、さらに世界一の繁華街銀座をおさえ(当時の丸の内線銀座駅は「西銀座」を名乗っていました。日比谷線の開通まで銀座線銀座駅とはつながっていなかったのです)、銀座線は繁華街、丸の内線はビジネス街をおさえて、現在でも極端な話この2本の地下鉄しかいらないのではないかと思えるほどの整いかたであったのです。

 そういう状況のもとで引かれた浅草線は中央通りの下は銀座線にとられているために、それと100mほど離れて平行に走っている昭和通り(これも幅員40mはくだらない大道路だが、中央通りのような華やかさはない)の下を走っているために核心部を巧みによけて走るかたちになってしまっているのです。

 まず銀座でその中心たる銀座四丁目交差点(銀座のシンボル的存在の和光や銀座三越のあるところ)を通れずに、東銀座になってしまっています。ここも歌舞伎座があったのがせめてもの救いでしょうか。そして日本橋でもその核心から大いにずれているのですが、それは次節で述べます。

 それらでも大きなハンディなのに、
「都営線である」という致命的な欠陥をそなえているのです。それにもめげず、浅草線は今日も行くのです。

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