どうもこの言葉は、「社会人として恥ずかしくないのか」「立派な社会人として」のような文脈で使われることが多く、この言い回しの方が余計こっぱずかしい気もします。
「デジタル大辞泉」によれば、次のように書いてあります。
しゃかい‐じん〔シヤクワイ ‐〕【社会人】
1 実社会で働いている人。学生・生徒などに対していう。「―になる」「―一年生」
2 社会の構成員としての個人。
1によれば、働いていないとダメなようですから、専業主婦やニート、退職後の老人はアウトですね。2によれば、子供も含まれると言うことになります。というより、2は、イコール「人」です。1 実社会で働いている人。学生・生徒などに対していう。「―になる」「―一年生」
2 社会の構成員としての個人。
要するに、あまり意味のある言葉でなく、むしろ、語り手が何かの思いを込めて「人」を表現したいときに使う言葉なのでしょう。往々にしてそういう場合には、意図と違う伝わり方をしがちなので、使用を控えるべき言葉とも言えますね。